私達の人生で、1番待ち遠しくて、1番嬉しかった日。
今までの辛い事も、全てこの日を迎えるためにあったのだとさえ思えた日。
2004年2月10日、この日から私達とナナの幸せな生活が始まりました。
ナナちゃん、記念日おめでとう。
ナナはもう犬じゃないから、何を食べてもいいのよね。
という訳で・・・

今年は、いちごのショートケーキだ!
ホールでって、ちらっと思ったんだけど、まぁまぁ今年はこれくらいで我慢してね。

あーごめん、今日は君達の分はないのだ。

ごめんよ拓さん。

だから、ごめんってばニイナちゃん。
話をナナに戻そうね。
ナナは本当に美人で可愛くて、父ちゃんなんてナナさんに一目惚れだったな。
あの日、もっと不安そうにするかと思ったら全然そうじゃなくて
あぁ、この子は全部わかってる。ここで暮らす覚悟を決めてきたんだって思った。

↑写真は、来た日の夜。
お見合いのときは顔も見てくれなかったけど、この日は一生懸命甘えてくれた。
ナナちゃん、これリラックスしてるように見えるけど、相当頑張って甘えたふりをしていたんでしょ?
本当は、不安でいっぱいだったよね。

ナナは大変だったかもしれないけど、私も父ちゃんも嬉しくて嬉しくて
毎日が本当に楽しかった。私と父ちゃんは、毎日有頂天だったよ。
ナナと過ごした5年間は、辛いと感じる事がひとつもなかった。
きっと嫌な事もあったんだろうけど、そんな事どうでもいいと思えるくらい幸せだったんだ。
本当に楽しかった、ありがとう。
ナナが死んで、心に大きな大きな穴が開いたように感じてた。
それはもう2度と埋まる事はなくて、この先拓さんやニイナちゃんがいなくなる日が来たら
またもう1つ大きな穴が開いて、私は穴だらけになって死ぬんだろうと思っていた。
でもね、そうじゃないかもしれないって、最近になって思うようになった。
確かに時間がかかるけど、そして上手く言えないんだけど
例えば、誰かに優しくされた時、感謝の気持ちがわいたとき、小さな幸せを感じた時
そんな時に、その「ありがとう」という気持ちや「嬉しい」という気持ちが、私の心に開いた大きな穴に
ひとつ、またひとつ、温かい優しいものが落ちてきたような気がするときがある。
そんな時はいつもナナを思い出して「ありがとうね。ナナちゃんありがとう」って思う。
別にナナがどうこうしてくれたと思っているわけじゃなくて、でもいつもナナの顔が浮かんでくる。
大砲で撃ち抜かれたような大きな穴が、ありがとうって思うたびに少しずつ埋まってゆく感じ。
私にとってナナの記念日は、とても大切な日で
ナナに出会えた事、楽しかった日々、全てに感謝している。
また来年も再来年も、いつかナナに会いに行くことを許される日まで・・・
ナナさん記念日を祝い続けるのです。